31th, March バラナシへ向かう飛行機の中で

今日チャンティガールを去った。チャンティガールの街はコルビジェと他の建築家の尽力のお陰で、インドではなくヨーロッパの一部みたいだった。チャンディガールに着いた途端文明化したインドに困惑しながらも安心感を覚えた。コルカタやデリーと完全に違った整えられた景色である。混沌としたクラクションの鳴っていた都会の夜とは違って、ほぼ静かな街だったのでとても快適だった。

 

チャンディガールはGarden cityとして計画された街。真ピンクのブーゲンビリアや黄色い花が道路脇に咲き乱れていて、想像以上に美しい街並みだった。マンゴーの木も植わっていたし。現地の博物館によると、パキスタンからの莫大な難民の受け皿が必要になり、スラム化した街を新しく作り変える計画が持ち上がったらしい。都市が拡大される時は人口が爆発して街や環境がそれを許容できなくなる時。バルセロナもそうだけど、大規模な人々の暮らしを支える社会的環境、物理的環境が必要になる。人々の暮らしや生活、治安は悪化してしまう。人々がコミュニティを自ら形成する力や自立自存の力を持たないとき、政府の力が必要となる。強制的にとも言えるが、共存の形ではなく、人々は政府や権力に依存しなければならない。どちらの街も自治を保つために政府が作ったものだ。バルセロナはcivic prideがあるけど、チャンディガールはどうだろうか。他のインドの街よりもその概念が存在しうる可能性がある気がする。どちらの街も相対的な対象があるためそれぞれの自治を保っているように思える。バルセロナはスペインからの独立を熱望しているし、チャンディガールはパキスタンと接している場所だ。デザインの結果は凶か吉か分からないけれど、対立する物象がないと自分のことを自覚できないのと同じで街の平和を保つにも相反するものが必要のようだ。デザインされているという事実はどれだけ人間に安心感や喜びを与えられるのだろうか。

 

それにしてもインドじゃなさすぎた。安心してぼられちゃったし。インド人のこすさや嫌なところは教育のなさからくるのだとしたらどんな理由にせよ、国際人としてその結果を招いているのが自分だという自覚が大切だと思う。そうしないと一生インド人はこすいままだ。マザーテレサは自伝的本をあまり書き残してないようだけれど、それって自分が思ったことを書き留めて終わりではなくて、行動で自分がどういう人間か表現したかったらじゃなかろうか。(私が推測するのはおこがましいけれども)言葉でだったら人間いくらでも言いたいことは言えるけれど、体現することはなかなかできない。行動に起こすことがもっとも説得力が生まれる。しかし、そんな人間になることはとても難しい。