2nd May

友達からの率直な感想が聞けたり話せたりするから、こうやって文章を書いてみるのも悪くないなと思えている。とてもありがたい。

 

 

帰ってから、色々と書く言葉を溜めていた感じがする。

経済の流れと、お金とは何なのかと、人の生活の仕方と、生き方について本を読みながらゆっくりと考えていた。

自分はどんな生き方をしたいのか、どんな生活を望んでいるのか。

 

そもそもカナダでの生活から現代の生活形態に対してフラストレーションがとても溜まっている。

ホームステイ先のホストマザーがハイテクを信頼した効率主義者みたいな人で、食洗機をやたらと使いこなし、ipadで生活してるみたいな人だった。料理を作るのに1時間もかける必要はない、日本料理はなんでそんなに手間がかかるんだ、時間の無駄だ、とめちゃくちゃ文句を言われた。料理の時間を短縮して自分の時間に費やすべきだと言われた。

フラストレーションが溜まっていたのは英語でそのことに反論できなかったし、初めから自分の考えがまとまっていなかったのもある。

 

便利であればその分充実した時間を過ごせるのだろうか?満足な時間を過ごせるのだろうか?

勿論、人によってその基準は違うのでそういう生き方をしたいならすればいい。

日常の雑事時間を縮小するために技術に頼って生活するのは悪いことではない。

 

でも、頼りすぎてない?

 

生かされているという感謝の気持ちを忘れ、環境を破壊してまで技術に盲信してしまうのは本末転倒なのではないか?

目の前のことを雑に片付け、自分が見たくも聞きたくも話題にしたくないことにも蓋をして技術に頼って生きるのは

自分のことも周りのことも見失わない?むしろ自己中心的と言うべきか

 

まだうまく言葉にできないことが沢山ある。

 

都市部で生活している人はお金さえ払えばいいと思っている。

工業化した農業に、スーパーに並んでいる野菜にありがたみも何も感じなくなっている。その生き方ってどうなの?

(とは言ったものの、今まで自分はありがたみも毎度感じずに野菜を買っていたので、批判できるものでもない。)

 

今は個人の自己実現を追いかける社会になっているんだけど、なんて言うか。

他のこと無視して自己実現してていいの?って思う。(勿論いいんだけど)

 

 

そんな疑問が沢山浮かびつつ、ここ最近は、

料理とか、トイレ行ったりとか、ご飯食べたりとか、寝て起きたりとか、喋ったりとか、そうやって生活する事の方が人間の本質なんじゃないかと思っている。(シャンティニケタンで発見した真理の一つ)

仕事とか、お金とか、って私たちの本質なのか?(仕事やお金が大切ではないと言いたいわけではない)

 

 

今は、生活の一つ一つの出来事をもっと大事にできる人になりたいし、そういう事を楽しんで大切にしている人たちが沢山いるところに住みたい。

その基本事項はスキップしたくないと個人的に思う。

料理だって自分の体のために作るものなんだからとっても大事だと思う。料理する事は自分の身体をつくる事、それをせず、栄養ドリンクに頼るのはあべこべだし、薬に頼ってしまうのもあべこべ。食材にも心を配って、楽しんで料理して、楽しんでご飯を食べたい。スーパーに並んだ野菜じゃなくて自分の庭から取れる楽しんで作った野菜を食べたい。(毎日ご飯作るのも面倒だけれどもね)

 

 

 

 

 

なんでそんなことに時間をかけるんだと言われ、私は物凄く怒っていたんだと気づく。(食べることも好きなので)

 

 

そんなこと、だと?

 

表でろぉぉぉぉおぉおおおお

 

 

 

とは言えなかったけど、心の中はこんな感じだった。今も怒れる。

 

 

 

何かを作ることも、食べることも人にとって神聖なことだと思う。(私にとって?)

食だけに言えた事ではなく、手間をかけることにこそ、お金で払えない価値があり、

無駄と省いてしまうことにこそ大切なことが隠れている。私たちはそれを見ようとしないだけだ。

(信念は人それぞれだからこれがすべてというわけでもないけれど)

 

以下、「スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 島村奈津著(光文社新書)」から抜粋

 

「生きている上で必要なものは何か。仕事や家や車やテレビ、バカンスを手に入れたからといって、人はそれだけでは決して生きてはいけない。

魚にとって水が必要なように、人が生きていく上で根源的なもの、それは環境であり、人間サイズの、ほど良い大きさの町だ。そこに文化的なものが息づいていることだ。

工業化された食が溢れ、コピー文化が氾濫する社会の中で、いかにオリジナルな文化が生き残っていけるか、それが僕らの課題なんだ。そのために必要なのは、交流の場だ。決して町の構造や建築だけの問題じゃない。むしろ町を生かすために大切なのは、目に見えないものの価値だ。例えば、人と人との交流、会話、農家の知恵、職人の技、食文化、信仰そういった目に見えないものすべてだ。それが僕らの生活の質を変え、満ち足りた時間を保証してくれるんだ」

 

 

都市圏で生きていくのが難しいと感じはじめた今日この頃である。