5th July

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29日に届いたバースデーカードが、本当に素晴らしい経験を運んできてくれるようなお守りのよう。久々の更新。

 

今までの出来事がやっとポジティブに昇華できそうな予感がする。

ようやく、、今まで書いた記事を客観的に見られるくらいには。とても恥ずかしい。中二病みたい。

 

ずっと書かなきゃな、と思ってたことを書こうと思う。

 

何月何日か記録してないが、インドのバラナシでの出来事である。

バラナシのガートでのこと。

 

太陽がカンカンと照る中、はなちゃんと二人でバラナシ市内を散歩し、ガートの階段に座ってぼーっとガンガーを眺めていた。時折物売りが流暢な日本語でシールやハガキを売りつけてきて、それを「ナー、ナー」と追い返していた。

ボーっと川を眺めていると、暑さも極まって何も考えることもなく、ただ二人で大きな木の木陰に座っていた。木陰から吹いてくる風は心地よかったが、汗は滝のように流れていた。

 

その時、目の前に鮮やかな緑のサリーを着た、赤子を抱えたインド人の女性が現れた。彼女は私たちの視界が入るくらいのところに、思いっきり意識して座り込む。

私の中ですぐに"ミニ警戒アラーム"が鳴る。

 

「...来たね。」

「なんか来たね。」

「ムシしようか」

 

とりあえず日本語で態度を決め、それでもずっとガンガーを眺めていた。

最初、彼女は笑いかけてきた。

ヒンドゥー語で何か言ってるみたいだ。

でも一向に無視する私たち。

 

やめる様子は全くない。

 

「何言ってるか分からないよ」

 

と日本語で答える。分からない言葉には相手が分からないであろう言葉で答える。

 

「分からないよ」

 

「(ヒンドゥー語)njdnsjdfjsd;fdj.....イングレス......? マネー」

「マネー、マネー、ルピィ」

 

彼女はどこからかだしたのか分からないツールやジェスチャーを駆使し、アピールを繰り返す。水が入っている哺乳瓶で赤ちゃんをあやしたり、赤子の額に手を当てて、ひたすらヒンドゥー語で話しかけながら。

 

「熱があるのかな?」

「ミルクが買えないのかな?」

「ずっと言ってくるね。」

 

赤ちゃんはぐったりとしているのか、ただ寝ているだけなのか分からなかったけど私たちに色々と想像させるツールをとにかく使いまくってくる。

 

 

10ルピーをあげてしまえば簡単なことなのに、この時、私は頑なに10ルピーあげてたまるかと思っていた。

そのことよりも、何故貧困があるのか、どうしてこの女性は私たちの前に現れたのかをずっと考えた。必死で10ルピーをねだる女性を前に、何故、私が10ルピーあげなきゃいけないのか、10ルピーをあげただけでこの女性の生活は根本的に変わるのか、考えていた。

はなちゃんは帰り際にその人に10ルピーをあげていたけど、私は頑なだった。日本では世界が平和であってほしいと願ったり、もっと貧しい人が少なくなるべきだと漠然と思ったりしてきたけど、実際その人間を前にすると1ミリも自分のものを譲りたくない薄汚い欲が出て来て、全く意地悪な人間になっていた。

 

日本に帰ってからもずっとそのことが引っかかっていて、なんで私はあの時たったの10ルピーをあげられなかったのかすごく考えた。その時、自分の冷酷な部分が認められず、"ここで10ルピーをあげてしまうのは間違っている。何にもならない"と盲信していた。

 

今思えば、そこに心からの人間に対する(その女性に対する)慈悲の心や人間の境遇に対する想像力が足りなかったのだと思う。もし、その女性が自分だったらとは考えなかった。猜疑心たっぷりの目で彼女を見ていた。もっと愛のある目で、自分と同じように彼女を扱うべきだったのではないか。人間として、私も彼女もただ出生場所が違うというだけで、私はたったの10ルピーをあげることすらできなかったのだ。

 

だから、世の中の偏見や差別をなくすのは容易なことではないとも思ってしまった。あの時インドのガートで私よりも貧しく子供を抱えたジプシーの母親にどんな行動をしていたら愛だったのか、私には全く見当もつかない。単純に自分と彼女が違う場所に生まれたという偶然に哀れみを持てばいいのだろうか。そんな視点に立ちながら振舞って(生きて)いくことはなかなか難しい。

 

あの時、目の前の美しい景色を堂々と遮ぎる彼女に優しい心が持てなかったのはなぜだろうか、なぜ心から何かしてあげられなかったんだろう。心からお金をあげられるような人になるには、私にはまだまだ高いハードルがある。友人の心の広さから学んだ出来事だった。