An old opinion 8th August

メモにしまってあった意見、載せるの忘れてた。某医大のニュースが出てきた時の話である。

 

母と女性蔑視について議論をする。

医大の点数の女性差別について、母は理解できると言って、意見の明言を避けた。

 

私にはその感想は、そんなことしても仕方がない、それぐらいして当たり前だという一昔前の遺物の親父の意見にみえた。

母が主婦で今まで男社会の支配下で過ごしてきた世代だからかもしれない。

 

私だって理解はできる。そんなの皆はっきり言わないだけで日本中どこでも起こっていることだろう。

ほぼ男性の圧倒的な理解不足から女性は我慢しなければいけなかったのだと思う。

身体的なことは女性にならなければ分からない。それを説得しなければいけなかったのも女性だった。

インドよりもはっきりしない、日本人の遺伝子に根付いた、目に見えない階級主義が日本にはある。

それは定義もできず、はっきりとした証拠も存在しない、歴史と時間の積み重ねで、男女双方にできてしまったものだ。

 

 

母には、女性であるのにそんなことを言うのか、という失望をした。

それはもしかしたら、今まで男性社会の中で甘いも酸いも、持ちつ持たれつでやってきた後ろめたさがあるからかもしれない。

もちろんそれで得してきた部分も女性として沢山あったと思う。

こうして声を出すことで風当たりが余計強くなることもあるかもしれない。

今まで得られていた甘さ、がなくなるかもしれない。そういう恐れもあるのかもしれない。

 

 

私は、それが理解できるからという理由で許したり、容認するのは違うと思う。

むしろその後ろの背景に注目しなければいけない。

 

なぜ、女性が離職していくのか。

 

それは制度が整っていないから。そしてそれを暗に我慢していかなければいけない社会だから。

その我慢しなければいけなかった社会は終わりつつあると思う。それを声に出していって良くなってきた社会だと思う。

 

それを理解ができるから、

そんなことしなきゃやっていけない、

みたいな諦めも含めた、消極的で受け身な姿勢を日本人は政治でも生活でも続けてきた。

でもそろそろそれは甘えだと思うし、しっぺ返しを食らうのは将来の自分なのだ。それに早めに気づいていかなきゃいけない。

 

ちょっとラディカルな意見。ついヒートアップしてしまった。