Japanese Beauty 15th February

出願の準備で慌ただしく、本当にめちゃくちゃで、頭の中はものすごく混沌としている。

そしてこういう時に大きく仕損じる。自分が情けない。でももう後悔しても仕方がない。

あの時に戻ってこうしていれば、と思ってもタイムマシンはどこにもない。

結局未来の時点で今起きたことを楽しく語れるようになんとかするしかないのだ。

じっとかみしめて、なるようになるのを信じることしか今の私にはできない。

 

このところは心の一喜一憂が激しくて、精神的に閉口していた。今は本をひたすら読んで癒されている。

雑誌で染色家の志村ふくみさんのエッセイを勧めていて、気になって手元にメモをした。

 

とても美しい文章が書かれていて、日本語の洗練された比喩表現に久々に感銘を受ける。

私にはとても真似できないような文章たちである。頭の中で文字を読むたびに、その情景がどんどん現れてはすぐに消えていき、その光景に癒される。

 

いつかそんな卓越した文章がスラスラと書けるようになればいいなぁと思いながら、こうしてまだ自分の語彙力の無さを恥じいるばかりである。

過去の文章も今読むと恥ずかしい。

 

 

出願願書を作っていく中で、Personal statement という、自分の研究目的を書いたり、自分がどれだけそのアカデミックの分野に貢献できるのか、アピールをする必要があり、その文章は2年くらい前にも書いていたのだけど、今見返してみると、現在の自分の考え方よりはるかに計画性があって驚いた、という可笑しな現象がおきている。その文章を考案する中、今年の私は日本人として、国際社会で生きていく中に如何に淡々と、日本の良さを伝えるのかが重要に思えてきたのである。それも大々的に発表するような形ではなく、漫談のような、一人の相手に刻々と語るような形で。以前までは日本に良いところは無いと信じていた。今では、日本の美術や文化がとても好ましく感じるし、その感性は派手なゴシック調のような西欧の美とはまた違い、謙虚で素朴で繊細でいて大胆なところがとても気に入っている。少しは客観的になれているということか。

 

 

そういうわけで家中にある本棚をひっくり返しながら、日本の美や感性に関する本を読み始めている日々である。

その自主勉強を始めたら、なんだか昔のデッサンに夢中になっている自分をふと思い出してきて、ああ、今の私にはその情熱がないのか、あの何時間でも座っていられた好奇心はどこに行ってしまったんだろうなぁ、などという不思議な気持ちに今は押しとどめている。

 

 

 

「死はおしまいではなく、ふと肉眼でその人がみえなくなっただけですぐそこにいる。心の内に一緒にねむるその人は、やっぱりその人らしい旅を続けているだろう。姿が見えなくなったとはいえ、いつも話しかけているし、時には笑わせてくれる、教えてもくれる。

 

だから生きている間に充分楽しんで、そういうものをお土産にみんなの願いを種子にして持ってゆこう。

 

必ず芽が萌えるようにと願って。」

 

(白のままでは生きられない/志村ふくみ著/求龍堂より)