Beautiful sadness days 12th June

 

日本でよく見る沢山のカラスのように、オスロで毎日見かける鳥は青色が入ったカササギか真っ白なカモメだ。

どちらの種類もけたたましくよく鳴く。

 

カササギはそこらじゅうにいて、なんだか可愛いらしい鳥だな、と思っていたら、冬場、うっすらと雪のベールのかかった寮のテラスで共食いしている現場を発見して戦慄し、日本でのカラスと同じポジションにいるのではないか、と見識を改めた。

 

鳥も必死で生きているんだな、と思う。一匹の虫や一羽の鳥でさえ、死ぬ気で生きている。

 

五木寛之大河の一滴を読んでいたら、現代や自分の状況をあまりにも赤裸々に表していたので、一人公園の芝生に寝転がりながら声を上げて笑ってしまった。

 

「救いがたい愚かな自己、欲望と執着を断つことのできぬ自分。その怪物のような妄執にさいなまれつつ生きる今現在の日々。それを、地獄という」

 

私たちは地獄に生きているらしい。

 

日本や家族への執着、オスロでの時間と自由と人間関係への執着。1年間休学するか、オスロに留まって勉学を続けるか、ここ1週間程悩んでいたら、日本に帰るための正当な言い訳を血眼で探している自分がいて、自分は海外に住む覚悟なんてなかったのだ、と思い知っている。友人たちのように、現状のあるがままを受け入れて、暮らせばいいのだろう。耐え忍んで生きることが美徳という染み付いた概念が、ならばなぜ日本に帰る必要があると問う。オスロにいられるだけで私は十分幸せなのだ。外に出て、芝生で寝っ転がったり、森に散歩したり(まだしたことない)、海に飛び込んだり、友人と会って喋る現実があって、その現実は、幸せなはずだ。

幸せなはず、

 

ただ... 楽しいと思っていた人間関係の、例えば飲みや遊びの誘いに、今は、特にコロナが始まってからは心から喜んでYESと言えない。ただ、仕方のないYESで3月からここ数ヶ月対応してきた。生きていくコミュニティが、まだ学校の友人一つともなると、継続的な交際はここでの私の命綱のようなものだ。日本よりは安全、なのかもしれない。それでも、もしあの人が、この人が、実はコロナにかかっていて、私も会っていたとしたなら、と思うと恐怖は消えない。自分がもしかかったら、心から頼れる人なんてオスロに1人としていないからだ。全部1人で生き抜かなければならない。友人はパートナーがいる、すぐ会える家族がいる。でも私は1人だ。大袈裟な話だけど、もし自分がコロナにかかって、死んだら家族は会いにも来れない。私がいない寮の部屋だけしか待っていない。でも、会おうと誘ってくる人間は、そんな私の不安や背景を1ミリも想像できずに軽率に会おうと言ってくる。軽率にデモに参加する。そんな不安から激しくNOと言いたい自分の心を置き去りに、身体が、脳が、YESと言ってしまう。そうしないとここで生きていけないと思うから。この数ヶ月は心と身体が2つに分かれて、それぞれの主張が相対抗していて、それでもなんとかやっていかなければいけなくて、ずっと身体の、脳の主張に従ってきた。分離した心が辛かった。心をすごく後ろの暗い所に、その主張が聞こえないように乱暴に追いやって、周りに合わせて身体だけ走ってきた感じだ。

 

自分の中から、とめどなく溢れてくる客観的な視点がとてもとても苦しくて、真っ向から対立する自分の本心と、その体裁をどう扱っていいのか分からない。

 

それでも自分は健康で(メンタルはめちゃくちゃ暗いが)、毎日気持ちの良い風が吹く国で生きている。

 

自分でも驚くくらい、こんなにコロナに影響されるとは思っていなかった。

コロナが、こんなに美しい夏の日を、とても暗い気分にさせるとは思わなかった。

 

こちらの図太い友人たちのように、日常を存分に、心から楽しめない自分が憎くて仕方がない。

なぜ毎日起きて、素晴らしく晴れているのに、こんなに悲しい気持ちになるのかが分からない。

 

夜の21時でも、太陽はそこら中を明るく照らしている。