Book Review 29th Jan. 読書感想文

 

わら一本の革命 福岡正信

植物と叡智の守り人 (原題: Braiding Sweetgrass) by Robin Wall Kimmerer

 

この二冊を夜な夜な同時に読み進めていて、やっと最近読了した。

すごく読み切った感がある。この二冊は哲学的、思想的な類似点が沢山あって面白かった。ノルウェーに行く前は福岡さんの本は読もうとしても難しく思えて読めなかったりして、いつか読むぞスペースに置いておいた。それが帰ってからすんすんと読めてしまうから本当に不思議だ。

 

読み始めていた頃は2人の著者が正反対の方向から植物に接しているような気がした。

福岡氏は東洋的思想、ロビンウォールキマラー氏は西洋的思想といった感じに見えて、2人とも書いてあることが真っ向から対立しているような印象があったから、結構混乱した。

 

最後には2人とも全く同じ場所に立っていて、その思考を巡らせ、心を動かしているのだと分かった。

イメージとしては一つの小高い山の上に2人の著者が背中合わせで山びこをしている感じだ。

 

福岡さんの文章からはなんとなく、現代人として都市で生きることを諦めたような、現代社会が本当に嫌になって生き辛くてやっていけないやるせなさが凄く伝わってくる。最後には静かに暮らしたいから、あまり探さないでくださいというような後書きまで載っている。殆、人間が嫌になって緑が友達で癒しの対象のような印象を受ける。

私はそれに深く共感する。ただ、その生活も己一人という孤独に耐え自己を見つめる大変な生活だったような感じもする。言葉として語られているのはその孤独が極まった先に福岡さんが見つけた真理である。

 

 

対して、ロビン氏はアメリカインディアン、ポタトワミ族出身、母であり植物の研究者であり女性だ。

インディアン特有の、(とは言っていいものなのか、むしろそれは人間固有の、と言い直した方がいいのではないか。) いわばアニミズム的思想を基にした、自然に対する底抜けの愛と人間が引き起こしている結果に対するやるせない怒りが美しい自然描写と共に対照的に描かれている。

 

 

インディアン的部族は歴史的に激しく差別され、下等とみなされ、権力者から疎まれてきた存在であるが、この本を読み終わってみると、寧ろ彼らの方がよっぽど文明的で精神的にとても豊かで、より人間らしく感じる。そして自分がなんて欲に塗れた底無し沼の物質社会に生きているのだろうかと悲しくなる。

 

 

 

 

福岡さんは人間はどう足掻こうと無であり、人間が何をしても意味がない、という、一切無用論を説いている。

人間は何にでも意味をつけたがる。優劣や二元論的思想で物事が理解できたと自分たちは勘違いしている、と。

 

確かに、甥っ子を見ていてもそう思う。1歳児はテーブルに座ると、ご飯もおもちゃも同じように机からキャッキャと落とす。赤ん坊にとって、食べ物であろうが物質は全て無価値なのだ。

あれ、この感覚どこかで体験したような、と思い出してみたらインドに行った時に、インド人が人も物も自分も平等に扱っていたことを思い出した。

 

大人になるにつれて他人と生きていく上で、他人と比べることを覚え、あれが良いもの、悪いもの、綺麗なもの、汚いもの、いい人、悪い人….そうやって勝手な基準を設け、判断して暮らしていく。

 

福岡さんはそんなことは全て無だ、という。人間が勝手に作った概念を、自身で大切だと思い込んで社会の中で生きているのだ、と。人間は何もしなくて良い、という。生きる上で目標なんていらない、という。

 

 

ロビン氏は、持続可能なんて言葉は人間の奢り昂った、人間中心だからできる考えだ、という。

人間が使えるように、資源を持続させる。自然には何のお伺いも立てず、資源だけずっと頂戴します、どんどん開発します、という考え方が何と痴がましいことか、という。

 

 

志望動機で、私は持続可能なデザインを学びたい、と書いた。それがこの先に必要な手法なのではないか、と考えたからだ。国連はSDGsという持続可能な開発目標を掲げ、日本や世界各国もそれに賛同している。

 

ああ、そうだったのか、自分は自分の心に反した真逆のことをしようとしていたのだな、と思う。その文章を読んで、私はなんて馬鹿なことを言っていたのか、と多少なりともショックを受けた。

 

 

 

ロビン氏は既に人間が破壊していった生命や、環境について訴える。その痛々しい沢山の事例から、もう人間は開発しきっている、ということが痛烈に伝わる。これ以上地球を傷つける必要はあるのだろうか、と。

 

人間が物質と競争社会の苦しみから抜け出すために必要なのは、既にある環境に感謝する心である、と筆者は言う。感謝をすれば満たされる、という。インディアンの部族には儀式で感謝の言葉(というよりすごく長い唄)を述べる習慣があり、そうして地球にお礼を述べる。それが美しい詩的な文章で語られる。

 

富の再分配がなされれば、格差社会はなくなり、人間同士の軋轢も生じなくなる。そこに至るまで、果たして地球はまだあるのだろうか。

 

 

 

福岡さんは横浜の税関に勤めて在外植物の検査をしていた、研究者だった。そしてロビン氏も大学で植物学を教える研究者だ。東洋と西洋にいるという違いだけで、植物と接していて、感じていることはほぼ同じー自然から学び、感謝し、謙虚に生きることー

 

ロビン氏は、今まで私たち人間に、糧や資源を与え続けてきている地球(本文ではマザーアース)に、まだ私たちは恩返しができる、という。そうか、その道があった、と思う。こうなったら環境保護活動家に転身でもするか、と浅い考えが脳裏をよぎる。でも、もしかしたら、今の都市的生活を原始的な(良い意味で)ものにちょっとずつ戻していく手伝いをするのも、一つの手段なのかもしれない、とふと思う。自分の専攻が、都市計画ではなく、ランドスケープでよかった、と少し胸も撫で下ろした。

 

 

四方八方に飛んでいる思考だけれど、とりあえずここに書き残しておく。