Japanese Beauty 15th February

出願の準備で慌ただしく、本当にめちゃくちゃで、頭の中はものすごく混沌としている。

そしてこういう時に大きく仕損じる。自分が情けない。でももう後悔しても仕方がない。

あの時に戻ってこうしていれば、と思ってもタイムマシンはどこにもない。

結局未来の時点で今起きたことを楽しく語れるようになんとかするしかないのだ。

じっとかみしめて、なるようになるのを信じることしか今の私にはできない。

 

このところは心の一喜一憂が激しくて、精神的に閉口していた。今は本をひたすら読んで癒されている。

雑誌で染色家の志村ふくみさんのエッセイを勧めていて、気になって手元にメモをした。

 

とても美しい文章が書かれていて、日本語の洗練された比喩表現に久々に感銘を受ける。

私にはとても真似できないような文章たちである。頭の中で文字を読むたびに、その情景がどんどん現れてはすぐに消えていき、その光景に癒される。

 

いつかそんな卓越した文章がスラスラと書けるようになればいいなぁと思いながら、こうしてまだ自分の語彙力の無さを恥じいるばかりである。

過去の文章も今読むと恥ずかしい。

 

 

出願願書を作っていく中で、Personal statement という、自分の研究目的を書いたり、自分がどれだけそのアカデミックの分野に貢献できるのか、アピールをする必要があり、その文章は2年くらい前にも書いていたのだけど、今見返してみると、現在の自分の考え方よりはるかに計画性があって驚いた、という可笑しな現象がおきている。その文章を考案する中、今年の私は日本人として、国際社会で生きていく中に如何に淡々と、日本の良さを伝えるのかが重要に思えてきたのである。それも大々的に発表するような形ではなく、漫談のような、一人の相手に刻々と語るような形で。以前までは日本に良いところは無いと信じていた。今では、日本の美術や文化がとても好ましく感じるし、その感性は派手なゴシック調のような西欧の美とはまた違い、謙虚で素朴で繊細でいて大胆なところがとても気に入っている。少しは客観的になれているということか。

 

 

そういうわけで家中にある本棚をひっくり返しながら、日本の美や感性に関する本を読み始めている日々である。

その自主勉強を始めたら、なんだか昔のデッサンに夢中になっている自分をふと思い出してきて、ああ、今の私にはその情熱がないのか、あの何時間でも座っていられた好奇心はどこに行ってしまったんだろうなぁ、などという不思議な気持ちに今は押しとどめている。

 

 

 

「死はおしまいではなく、ふと肉眼でその人がみえなくなっただけですぐそこにいる。心の内に一緒にねむるその人は、やっぱりその人らしい旅を続けているだろう。姿が見えなくなったとはいえ、いつも話しかけているし、時には笑わせてくれる、教えてもくれる。

 

だから生きている間に充分楽しんで、そういうものをお土産にみんなの願いを種子にして持ってゆこう。

 

必ず芽が萌えるようにと願って。」

 

(白のままでは生きられない/志村ふくみ著/求龍堂より)

24th December 2018

IELTS6.5のスコアやっと取れた!!

嬉しくて画面のスコア見たときは10分間くらいビョンビョン飛んでた。(家が揺れた)

手が震えた。自分がスコアを取れると思ってなかった。ほぼ諦めかけてた。もうだめだ、この先どうしようって思ってた。

自分が努力して、達成できたのは初めてだと思う。粘って本当によかった。

でも、まだまだこれからだ。研究の不安とか、今までタラタラして分野のことほっぽらかしていた分の不安が後から押し寄せて来る。不安は本当に尽きないんだね。

 

でもやっと息が吸える。(吸ってたけど。)生きた心地がする。苦しかった。努力している時は心地よさを感じられなかった。何をするのにも楽しさを感じることにすら、後ろめたさがあった。ビクビクしながら生きてた。でも、不安な状態でもその状態を認めながら過ごす、というか、不安な状態でも今はまだ、途中、だから焦らないし焦らなくていい、と思えることが大切だと学んだ。矛盾しているように聞こえるけど、不安な状態にいても、それが心地良い(マゾという意味ではなく)と感じられるくらいにまで心を落ちつかせることが大切だと思う。自分を少しでも信じてあげていてよかった。

 

今回はものすごく駄文になってしまいそう。

 

今まで自分のことを信じてあげられられることが少なかった。

頑張ったり、努力したりすることが大切、という定説がすごく嫌いだった。

聞くたびにうんざりした。努力すればなんとかなる、とか頑張ればなんとかなるとか、努力してる人は偉いとか。

そんなわけあるかよ、と思ってたのに努力について語る時が来るとは、、、

 

自分を認めてあげるために、努力は必要なのだと知る。

 

それだけなんだけど、、。(むしろ当たり前?)

偉くなるために努力が必要なのではなくて、

自分が自分に満足できる状態になるために努力は大切なんだな、と思った。それが今まで全く分かっていなかった。

 

これからは、それを築くために私は頑張る。何か自分が好きな物のために頑張る。自分のために頑張る。(そうしないと研究2年も持たないだろうな、、)

 

 

今まで空白時間は一体自分にとってなんだったんだろうとか、つい意味付けしたくなっちゃうんだけど、

自分がもっと広い視点で見なきゃいけなかったからかも、

自分が心から好きなことを見極めるためかも、とか。

 

きっと、~しなきゃいけない、~が必要だから、問題は解決しなきゃいけないからっていう理由じゃなくて、

ただそれをしたいから、っていう動機にシンプルに戻ることが必要だったのかも。

 

将来の目に見えない誰かのためじゃなくて、まず自分のために勉強することが必要なのかも、今まですごく虚勢を張ってたし、カッコつけようとしてた。

 

 

こんなこと当たり前で過ごしている人が普通なのかも、、、。

やっぱり考えすぎてこんがらがっているんだけど、

上手くまだ言語化できていないや。もどかしい~

 

でも、まだまだ知りたいことがいっぱいあるし、行ってみたいところもいっぱいある。

こんなにワクワクした気持ちになれたのは本当に久しぶり。去年は今年がその年になるなんて想像しなかった。

とにかく楽しみ(でもまだコース定められてない出願できてないやばい)、でも楽しみ。すごく楽しみ。

An old opinion 8th August

メモにしまってあった意見、載せるの忘れてた。某医大のニュースが出てきた時の話である。

 

母と女性蔑視について議論をする。

医大の点数の女性差別について、母は理解できると言って、意見の明言を避けた。

 

私にはその感想は、そんなことしても仕方がない、それぐらいして当たり前だという一昔前の遺物の親父の意見にみえた。

母が主婦で今まで男社会の支配下で過ごしてきた世代だからかもしれない。

 

私だって理解はできる。そんなの皆はっきり言わないだけで日本中どこでも起こっていることだろう。

ほぼ男性の圧倒的な理解不足から女性は我慢しなければいけなかったのだと思う。

身体的なことは女性にならなければ分からない。それを説得しなければいけなかったのも女性だった。

インドよりもはっきりしない、日本人の遺伝子に根付いた、目に見えない階級主義が日本にはある。

それは定義もできず、はっきりとした証拠も存在しない、歴史と時間の積み重ねで、男女双方にできてしまったものだ。

 

 

母には、女性であるのにそんなことを言うのか、という失望をした。

それはもしかしたら、今まで男性社会の中で甘いも酸いも、持ちつ持たれつでやってきた後ろめたさがあるからかもしれない。

もちろんそれで得してきた部分も女性として沢山あったと思う。

こうして声を出すことで風当たりが余計強くなることもあるかもしれない。

今まで得られていた甘さ、がなくなるかもしれない。そういう恐れもあるのかもしれない。

 

 

私は、それが理解できるからという理由で許したり、容認するのは違うと思う。

むしろその後ろの背景に注目しなければいけない。

 

なぜ、女性が離職していくのか。

 

それは制度が整っていないから。そしてそれを暗に我慢していかなければいけない社会だから。

その我慢しなければいけなかった社会は終わりつつあると思う。それを声に出していって良くなってきた社会だと思う。

 

それを理解ができるから、

そんなことしなきゃやっていけない、

みたいな諦めも含めた、消極的で受け身な姿勢を日本人は政治でも生活でも続けてきた。

でもそろそろそれは甘えだと思うし、しっぺ返しを食らうのは将来の自分なのだ。それに早めに気づいていかなきゃいけない。

 

ちょっとラディカルな意見。ついヒートアップしてしまった。

17th September Frustrating

はてなブログサービス停止みたいなニュースみた気がするんだけど、ブログ移行しなきゃダメなのかな?

めんどっ(と思っても何もやらない)

 

 

自分に向き合わなければいけないと思っているんだけれども、自分でも上手く言語化できなくて困っている。

人になんか説明できないし、家族にですら説明できないままモヤモヤしてるから英語で伝えるのはなおさら困難。

 

デザインという言葉に惹かれたのは高校2年の頃だった。

高校で通う人たちとは違う分野に行きたかったから美大を選んだ。

デザイン、という言葉がカッコよかったのもあるだろう。

環境デザインに行こうと思ったのは吉岡徳仁のドキュメンタリーを見てからだった。

ああ、綺麗だなと思った。こういうの作ってみたいな、平面じゃなくて立体でインテリアやってみたいなって思った。

もっと人に直接影響を及ぼせそうな分野がいいなと思った。

結構単純なつくりだからテレビの影響をすごい受けた。

 

それからしばらくして、architecture for humanity のキャメロンさんが出演しているNHKBSの番組を見た。

キャメロンさんはオープンソースでアイデアを世界中から募集し、災害で困っている地域や難民など支援が必要な人たちにそのデザインを提供する組織を立ち上げていた。確か3.11がまだ起こる前だったと思う。その活動にすごく感動した自分がいた。彼のTEDもものすごく好きで、彼の、「学生の頃、自分は black sheep of the family みたいだった(=浮いてた)。なぜなら建築家は自分が作ったものをまるで宝石を扱うように大切に扱っていたからだ。でも私は、建築はそれがあることによって周りの環境や人々に良い方向に貢献していくべきだと思っていたから。」(みたいなこと)に今でも、ものすごく共感する。(リンク先)

Cameron Sinclair: My wish: A call for open-source architecture | TED Talk

 

デザイン、って人を助けることができるんだ、その可能性がある分野なんだ、とものすごく希望を持った。

アート(特にファイン系)はなかなか、実質社会で役に立ちづらいし、なおかつ優先事項としては二の次にされがちだから、

私はそんなアートをもっと役立たせたいと思っていたし広めたいと思っていた。

 

その解決法がデザインに思えた。

その時から、私の夢はキャメロンさんといつか一緒に話して、働くことになった。(今でも夢)

 

 

でも、怖くて不安でやりたくないって思ってしまう自分もいる。

要は言い訳をしているチキンなのだ。いくらでも、理由が思いつく。

 

(こっから以下の文章、ほぼ言い訳)

結局、デザインで人を助けるなんてエゴなんではないかとか。そんなの自己満足なだけではないかとか。

開発途上国に開発援助をすることは実は現地の土着文化を破壊してしまうのではないかとか。

(開発途上のアイデアも先進国の自分たちが上だっていうヒエラルキーの下に成り立ってる言葉だ)。

私は結局、他の人たちと違う事をしたかっただけで、これになりたい!と思ったのは、他のみんなから偉いって思われたかっただけなのでは?とか。

 

この人は同じ分野でこんなに行動してるのに、私はじゃあなんで行動してないんだろう?

行動しないってことは、本当はやりたくないってことなのでは?本当は助けたくないってことなのでは?

浅はかな承認欲求のためだけだったのでは?

 

語るのは簡単だ。語れるだけ今まで語ってきたけど、本心を置き去りにしてきてしまったのではないか?と。

自分への不信感が募っていってしまった。

 

 

インドに行ってみて、要は、私たちからみて開発途上の国に行って感じたのは、この人たち、別に助けなんかいらなくない?ということ。先進国が介入することは彼らにどんなメリットをもたらすのだろう? 多様性の面や、経済的に豊かになる、というメリットはあるかもしれない。(むしろ先進国や富裕層側からのメリットとも言える)。

でも、そのサイクルの中に彼らを投入するのが本当に彼らにとって幸せなことなのだろうか?

むしろ、私たちが彼らから学ぶべきことの方が多いのではないだろうか。自然との共生の方法や、インターネットやパソコンがない所での本当の人間としての暮らし方を。(土着文化から学ぼう!みたいなフィールドは実際にあるらしい)

 

 

やっぱり私は日本で建てては壊して建てては壊してのサイクルに入りたくはないと思ってしまう。

そのサイクルに入り込んでしまうのはとても簡単に思える。(実際やるのは想像できないくらい難しいだろうけど)

 

 

自分の夢が浅ましく思えてきてしまったことで、視界がぶれ始めて、今は自分が信じられなくなっている。

分かってるんです、結局、言い訳しててやってないだけなんです。やる前に怖くなって動けなくなってるんです..。

 

今までも口だけ大きくて実行力が伴ってないから本当に説得力がない人になっている。

こんなにダメなのにそんな大層な夢をよく語れるよね、という心のツッコミもある。私にとっては、あまりにも夢が壮大すぎて、現実とのギャップがすごいことになってる。そして落ち込む。やっぱ自分よく見られたかっただけなんじゃと・・。昔の夢に固執しすぎてるだけじゃないか、とも思う。

 

目標設定型(結果重視)の生き方は辛くなるから、もっと感情を大事にしたら?という生き方もあるしね

....ちゃんと、やろう。

手相占い師に、「あなた、考えすぎよ!」と言われたのは耳が痛い話です

駄文、失礼致しました。

A small heartfelt story 29th July

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何年も前、一人でパリまで行く途中のことを思い出す。

 

パリで他の学生と集合するまでのミニひとり旅。

乗り継ぎにビビリながら、クアラルンプール国際空港でヨロヨロ待っていた時。(写真は空港)

なかなか客室乗務員が出発時刻になっても現れず、客がざわざわし始めた頃だった。

アジア系の黒髪が腰くらいまであるポニーテールの、背筋がしゃんとした30代くらいの女の人が大きなバックパックを背負っていた。

 

ちょうど目があった。

まだなのかね?と目配せしてきた。

私も仕方なく肩をすくめる。

 

「もう時間なのにね」

「ええ、怠惰ですね」

 

そんな会話をしているうちに、客室乗務員がヘラヘラと搭乗口へ入って行った。

どうやらそろそろ時間のようだ。みんな待ちくたびれた様子でそぞろに搭乗口に並び始める。

 

その女の人と、軽くサヨナラのアイコンタクトをした後、飛行機は予定通りパリへと飛んだ。

 

 

 

シャルル・ド・ゴール国際空港に到着後、パリ市内まで行くバスに乗らなくてはならなかった。パリ中央駅で待ち合わせだ。

飛行機内で地球の歩き方を熟読はしていたものの、実際に降りてみるとやはり焦ってしまう。

バス乗り場までは行けた。でもチケットの買い方がさっぱり分からなかった。

しかめっ面でクレジットカードを出し入れしていたら、マレーシア空港で少し話したアジア人女性がバス乗り場へとやってきた。

 

爽やかな笑顔で、挨拶を交わす。

 

Hey!

Hi!

 

そのあと、どうにかしてチケットを買った。よく覚えていないけど、その人に助けられて買うことができた。

とにかく、すごくホッとしたのを覚えている。

バスで隣に座った。当時ほぼ片言でしか英語を喋れなかった私だったが、その人となんとか会話をした。

 

「どこから来たの?」

 

「日本です、あなたは?」

 

「韓国よ、でも前はフランスに留学してたの、1年くらい。学生かぁ、懐かしいなぁ。前はナントカ地区ってとこに住んでたの。地図はある?ここらへんよ。フランスへは初めて?」

 

「はい。」

 

「どうしてフランスへ来たの?」

 

建築学生で、ワークショップをしに来て、美大生なんですけど」

 

「ほんと?私も美大出身よ」

 

「え?ほんとですか?」 

 

「なんて学校?」

 

「 ◯◯です」

 

「あぁ!卒業生に山本寛斎がいるよね!確か」

 

!?(私も不確かな情報をなぜ)そうだったかもしれません、多分そうですね」

 

「私は服飾系のデザイナーで、前◯◯で働いてたのよ(ISSEY MIYAKEだったかな..!)」

 

!?!?!? すごい! どうしてフランスに!?」

 

彼女の凜とした空気感はそのセンスが由来だったのか、と納得する。上品でとてもハキハキしている。私の不安に曇った顔を察してか、明るく、優しく喋りかけてくれる。

 

 

「巡礼の旅って知ってる?カミーノ、サンティアゴデコンポステーラ」

 

 

……なんだっけあれ、聞いたことあるけどなんだっけ….あ!!!

 

 

「あぁ!!!スペインの?」

 

「そう!

 

「でも、どうやって巡礼の道を知ったんですか?きっかけは?」

 

「仕事疲れっちゃってね、どっか旅行にでも行こうと思って、休みを取ったの。それで、図書館で旅行の本を探してて、どこか知らない所にでも行こうって思ってたから。そこでサンティアゴって見つけたの。本のタイトルで。あぁ、なんかアフリカっぽい、アフリカにでも行くかぁと思って、実際読んでみたらそこはスペインだったのよ! それで、巡礼の旅なんて素敵!行こうって思ったの!」

 

「確かに、アフリカっぽい笑。でもなんでフランスから?」

 

「巡礼の道はスペインとフランスの国境の町から始まってるの、サンジャンピエドポー。そこまでパリから電車で行かなきゃ行けないのよ」

 

「だからなんですね、なるほど、、、」

 

 

そんな会話をしているうち、パリ中央駅に到着。私はとにかく緊張していたし、世間話なんて本当にうまくなかったけど、その人がいてくれたお陰で、パリ中央駅までのバスはものすごく安心できる時間に変わっていた。

 

「北口あたりは危ないから、気をつけてね、スリとかいっぱいいるから、あとは13区かな。楽しんで!」

 

彼女はそう言って忠告してくれた。

 

あなたもね!と英語で言えなかったのがものすごく悔しく、もどかしかったのを覚えている。

 

今彼女はどこかで元気に生きているだろうか。彼女が幸せだといいな。

 

とてつもなく不安な時、本当に困ってる時、私の周りでは本当にタイミングばっちしで、人に助けてもらえることが多い。本当にラッキー。そんな旅の経験がいつも嬉しくて、そういうことは全部、旅が終わる時には心の中の暖かな思い出になっている。

 

日本から出なければ、これから全然会うことも、喋ることもない人と、お喋りできるのは純粋に楽しいし、嬉しい。

だから旅が大好きだ。今まで伝えきれないくらい、そういう小さな、誰にも報告する必要のない暖かな物語が蓄積されていく。

家族に言うほどでも、友達にわざわざ伝えるほどのない些細な出来事。私だけじゃなくてみんなそういう小さな物語をたくさん抱えて生きている。

 

私もそんな物語の一部になれるような、優しい人になっていたい。

 

ここで、そういうことを小出しにできていければいいな。

Give and give and give...? 20th July

「コネクション」「人脈」「ギブアンドテイク」について

 

今までの違和感の一つだった人脈の捉え方

 

建築学生だった時から、人脈を作らなきゃ、という強迫観念のもと、動いていた節もあった。

将来のために、この人とコネを作っとかなきゃ、この人と仲良くなっとかなきゃ、と心の底で考えていて行動してた。

そしてそんな思惑が渦巻いた中で長く連絡を取り合っている人なんていない。相手の思惑を感じると直感でスッと引いていく自分がいたし、相手もそうしていると思う。

 

ここ数年、それは疲れる考え方だな、と感じはじめた。

先輩から送られてくるメッセージは大抵ボランティア的手伝いが必要な時で、でもそんなのやるために連絡先交換したんじゃないって思ってしまう。

だったら、なんのために?

 

利用し、利用されるため?

あなたを利用したい、という下心のある要求は時としてプレッシャーになる。

私はこれだけやってあげたから、あなたからこれをもらうのは当然でしょ、という傲慢さが生まれてしまう。

その中で生きていくのはやっぱり疲れる。

 

以下、(ゆっくり、急げ-カフェからはじめる人を手段かしない経済- 影山智明著 2015年第一刷発行 大和書房 p,106-107)より抜粋

 

ついつい、「利用価値」で人間関係を判断してしまう。そしてその判断基準はやがて友人関係にまで及ぶ。「こいつとは付き合っておこう」。いずれ仕事で力になってもらえそうだから。いつか役立ちそうだから。(中略)こうして「利用し」「利用される」関係が世の中に広がっていく。成果主義の人事考課がこの傾向に一層の拍車をかける。

「人脈」という言葉はまさにその象徴だ。人間関係を手段と捉えた言葉。ぼくが世界で一番嫌いな言葉でもある。

相手に利用価値を求めるということは、自分も利用価値を求められるということ。そうして一人ひとりが自らの「利用価値」を高めるべく常に有形無形のプレッシャーを受け続けるということは、そこにもちろん正の効用もあるにしても、常に不安と背中合わせということでもある。

 

 

今までぼやけて言葉で表現できていないことが書いてあり、そうそう、そういうことだよねと腑に落ちる。

人生の中で表現しきれない言葉や感情を見つけ、それを昇華することができるから、読書には本当に助けられている。

 

例えばお手伝いをしたとある建築家の方とお話した時に、友人伝いで、「あの子には相談乗ってあげたから、あれ以上何もあげないわ」と言っていたと聞いて本当に衝撃を受けた。私としては自分の情報を開示しただけだった。相談をしたつもりもない。

それがいつの間にか相談と受け取られていた。その会話は自分の労力と時間の対価になってしまった。

 

そういう大人だっている。

 

人間を利用価値でしか捉えられない大人が、この世にはたくさんいるんだ、と悲しくなったというか、むしろ憎くなったというか。そんな中で生きていかなきゃいけないんだ、と思った。

 

いやらしい。

これからどれだけ私は利用してやろう、と思われるんだろうか。

これからは、そんないやらしい人を見極めていかなければならないのかってハッとした瞬間だった。

 

 

 

これを踏まえて私はどんな人間でいたいのか。どの方向からハッピーの音がするのか。

人間関係を、「利用価値」ではなく、「経験」や「楽しさ」、「心の豊かさ」で捉える。

 

この人と一緒にいると、

心が安らぐ、とか、

楽しい、とか、

嬉しい、とか

元気になる、とか

笑える、とか

面白い、とか

学びになる、とか

 

シンプルに一緒にいたい、でもいい。

沢山の人と、そんなハッピーな感情を持って付き合いたい。

私といる時も相手にそんな感情になってもらえてるといいなって思いながら。(これもある意味価値や期待なのだろうか)

相手に期待を持たずにそんな風に生きていきたいと思っている。(難しいけど、心得のような感じ)

本当はみんなどこかで価値とか役にたつとか見た目とか生活レベルとか年齢とか性別とか、そういうの全部取っ払ったまっさらな自分を眺めてもらいたいと思っているんじゃないか、と思うので、そういう相手にも自分にもゼロの状態でコミュニュケーションとっていけるのが理想だなと思う。

 

と、偉そうなことを言ってみるけど、実際には自らそういう価値判断で動いてしまっている時もある。

利用関係を求める人たちの中だと、私のような人間は搾取されるばかりになってしまう気もする。

警戒してしまう。相手が人間関係に何を求めているのかを見極めていくのも難しい。

 

 

なるだけ、利用されずに、同じハッピーの音がする人を探して、そっちの方に歩いていって、そういう人達と付き合っていけるといいなぁ。

 

5th July

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29日に届いたバースデーカードが、本当に素晴らしい経験を運んできてくれるようなお守りのよう。久々の更新。

 

今までの出来事がやっとポジティブに昇華できそうな予感がする。

ようやく、、今まで書いた記事を客観的に見られるくらいには。とても恥ずかしい。中二病みたい。

 

ずっと書かなきゃな、と思ってたことを書こうと思う。

 

何月何日か記録してないが、インドのバラナシでの出来事である。

バラナシのガートでのこと。

 

太陽がカンカンと照る中、はなちゃんと二人でバラナシ市内を散歩し、ガートの階段に座ってぼーっとガンガーを眺めていた。時折物売りが流暢な日本語でシールやハガキを売りつけてきて、それを「ナー、ナー」と追い返していた。

ボーっと川を眺めていると、暑さも極まって何も考えることもなく、ただ二人で大きな木の木陰に座っていた。木陰から吹いてくる風は心地よかったが、汗は滝のように流れていた。

 

その時、目の前に鮮やかな緑のサリーを着た、赤子を抱えたインド人の女性が現れた。彼女は私たちの視界が入るくらいのところに、思いっきり意識して座り込む。

私の中ですぐに"ミニ警戒アラーム"が鳴る。

 

「...来たね。」

「なんか来たね。」

「ムシしようか」

 

とりあえず日本語で態度を決め、それでもずっとガンガーを眺めていた。

最初、彼女は笑いかけてきた。

ヒンドゥー語で何か言ってるみたいだ。

でも一向に無視する私たち。

 

やめる様子は全くない。

 

「何言ってるか分からないよ」

 

と日本語で答える。分からない言葉には相手が分からないであろう言葉で答える。

 

「分からないよ」

 

「(ヒンドゥー語)njdnsjdfjsd;fdj.....イングレス......? マネー」

「マネー、マネー、ルピィ」

 

彼女はどこからかだしたのか分からないツールやジェスチャーを駆使し、アピールを繰り返す。水が入っている哺乳瓶で赤ちゃんをあやしたり、赤子の額に手を当てて、ひたすらヒンドゥー語で話しかけながら。

 

「熱があるのかな?」

「ミルクが買えないのかな?」

「ずっと言ってくるね。」

 

赤ちゃんはぐったりとしているのか、ただ寝ているだけなのか分からなかったけど私たちに色々と想像させるツールをとにかく使いまくってくる。

 

 

10ルピーをあげてしまえば簡単なことなのに、この時、私は頑なに10ルピーあげてたまるかと思っていた。

そのことよりも、何故貧困があるのか、どうしてこの女性は私たちの前に現れたのかをずっと考えた。必死で10ルピーをねだる女性を前に、何故、私が10ルピーあげなきゃいけないのか、10ルピーをあげただけでこの女性の生活は根本的に変わるのか、考えていた。

はなちゃんは帰り際にその人に10ルピーをあげていたけど、私は頑なだった。日本では世界が平和であってほしいと願ったり、もっと貧しい人が少なくなるべきだと漠然と思ったりしてきたけど、実際その人間を前にすると1ミリも自分のものを譲りたくない薄汚い欲が出て来て、全く意地悪な人間になっていた。

 

日本に帰ってからもずっとそのことが引っかかっていて、なんで私はあの時たったの10ルピーをあげられなかったのかすごく考えた。その時、自分の冷酷な部分が認められず、"ここで10ルピーをあげてしまうのは間違っている。何にもならない"と盲信していた。

 

今思えば、そこに心からの人間に対する(その女性に対する)慈悲の心や人間の境遇に対する想像力が足りなかったのだと思う。もし、その女性が自分だったらとは考えなかった。猜疑心たっぷりの目で彼女を見ていた。もっと愛のある目で、自分と同じように彼女を扱うべきだったのではないか。人間として、私も彼女もただ出生場所が違うというだけで、私はたったの10ルピーをあげることすらできなかったのだ。

 

だから、世の中の偏見や差別をなくすのは容易なことではないとも思ってしまった。あの時インドのガートで私よりも貧しく子供を抱えたジプシーの母親にどんな行動をしていたら愛だったのか、私には全く見当もつかない。単純に自分と彼女が違う場所に生まれたという偶然に哀れみを持てばいいのだろうか。そんな視点に立ちながら振舞って(生きて)いくことはなかなか難しい。

 

あの時、目の前の美しい景色を堂々と遮ぎる彼女に優しい心が持てなかったのはなぜだろうか、なぜ心から何かしてあげられなかったんだろう。心からお金をあげられるような人になるには、私にはまだまだ高いハードルがある。友人の心の広さから学んだ出来事だった。