15th January Fucking loneliness

半年が過ぎて、新学期が始まった。

こちらに来てから感情的に反応することが多くなった。

主観的に生きているからかもしれない。

日本に一旦戻って、またオスロに戻って、ものすごく複雑な感情がある。

私にとって、日本は愛すべき場所である。それは私の祖国であり、家族がいて、友達がいて、今までの経験から知っている風景があるからだ。

それでも将来過ごしたいと思える場所ではない。日本はとても小さい。それはそれで幸せだ。でも、私にとっては色んなしがらみや、ルールや、守る必要なんて全くない、ただそれが支配しやすかったり、権力を感じたかったりという理由で存在する押し付けられる共通意識やいわゆる規範がとにかく自分を小さい存在に感じさせてしまう。何もできない気がしてしまう。のびのびとできない。家族がいることは安心だ、でも、それは甘えでもあり、同時に縛りでもある。

 

 

それでも、オスロはその代替にはならない。

もしかしたら私はまだその代替場を見つけるプロセスの途中なのかもしれないが。

新学期になって、今までに作った、たった12人ほどの同じコースを取っていた友人と久しぶりにハグをし、今までにない嬉しさも、勿論覚えた。このひとたちは、少なくとも私を知っている、という居心地の良さと有難さ。異国の地で、とりあえず一人ではない、という到着時には得られなかった安心感。それでも、そう感じられるのはあとたった1年半しかない。きっともう終わる。

この、所属している幸せを感じていられるのもほんの一瞬だ。一瞬だと分かっているから、もう会えないかもしれないから、私は今、全身の細胞にある愛情を搾り切る勢いで良い人間であろうとしている。いつの日か、得られるわけでもないであろう、見返りを心のどこかで求めながら。最高にいい人間だった、いい日本人だった、というイメージを一人一人に残したいという気持ちすらある。私はそんな薄汚く底意地の悪い人間である。そんな姑息な人間は、そのあと一体どうやって生きていったらいいんだろうか。たった一人で、この突然襲ってくる強烈な哀しさを伴った寂しさに、この先、どうやって向き合っていったらいいのだろうか。

 

 

居場所ってなんだろうって思う。

自分が心地よくいられる場所なんて、心から安心だっていられる場所なんて、この世でいくら追いかけてもないんじゃないかと思う。

でも、私は居心地を追い求めて日本を出た。怒りや悔しさや、やるせなさや、絶望や失望の感情をやり過ごしてみても、私は寂しさという感情がどうしても苦手だ。

寂しさはいくら自分が家族といようが、友達といようが、一人でいようが、二人でいようが、日本にいようが外国にいようが、どこにいたって隣にいる。

ずっと見ないように、と目を背けていても、ある日突然、寂しいという事実が真理として私を飲み込んでくる。

漆黒の穴がずんずんと下に下に掘り進められていくのを、まるで何も感じていなかったかのように、急いで仮埋めする。

その繰り返しである。

 

 

太陽に当たってないからなのか、なんでこんなに気持ちが暗くなっているのか自分でもさっぱり検討がつかない。

寂しさなんて気にしない人間に、さっさとなってしまいたい。