1st March ②

バラナシの雰囲気がすごい。今まで行ったどの街よりも隣の人と友達になれるような空気感がある。全員人間として淘汰されている感じ。旅行者もインド人も入り味って生活している街だと思う。最初の第一印象は芳しくなかったけど、この水のように流される空気感は不思議と不快じゃない。今日ナントカゲートでお祈りを見たけど、ただのエンターテインメントと化していた。実はみんな生活しててもやることないから祈りという遊びを生み出して、ちょうどそれが宗教を伝播する目的と一致したからやってるという感じに見えた。

1st March

夜、インドのバラナシ空港に降り立って空港の外に出た時、凄いとこに来たと思った。溢れるタクシー運転手、ひと、ひと、ひと…。その人混みをすり抜けて、足早なタクシー運転手に必死でついてった。前から容赦無くやってくる車を避けようと、草むらに足を踏み入れた、ら、そこは沼だった。花ちゃんは無事。必死で足を引っこ抜いた。かろうじて足首くらいまでですんでてよかった。空港の前になぜ沼があるんだっていう怒りと、何が入ってるのかわからない沼にハマってしまった自分の情けなさに車内で正直とても凹んだ、、。インド人もはまってないのに…。沼…。更に、空港からホテルは1時間くらいで着くと言われていたのに、物凄い渋滞、、。車、全く進まない。。タクシーに乗ってるアジアンに道行くひとはめっちゃ振り返る、、笑。今までとはまた違うギラギラとしたインドの夜の街。ホテルに着いたのは夜の10時くらい。結局3時間かかった。最後の街で散々な旅の幕開けか…もうこの先数日間は何も期待出来ない…もうだめだ…というヘロヘロな気持ちで支配人にホテルの部屋まで案内してもらった。

 

 

 

部屋、ピンクだった。爆

入った途端笑いが止まらなかった。ここはインド??それともラ◯ホ?床も壁もまっピンクのプリプリなお部屋…。え?私この部屋予約してないんだけど???という困惑に、「とっていた部屋に予約が入って、こっちの部屋はデラックスルームだからオーナーさんがこのお部屋に変えました」という管理人ディーパックさん。。(ホテルのオーナーは日本人&インド人のご夫婦)鍵を見たらお部屋の名前はプリンセスルーム(ジャグジー付き)、、。そのお部屋のお陰で沈んだ気持ちも吹っ飛んだ。その後の数日間は、とても快適。インドでの旅を無事終えることができました。ピンク、馬鹿にしてたけど色の力って凄いのね。

 

(一見悪い、、って捉えがちな事は実は反対のことが起きる前兆なのかも、、。

理不尽な何かが起こる時は、実は想像できない程の面白い事や楽しい事が待ってると信じたい。)

 

31th, March バラナシへ向かう飛行機の中で

今日チャンティガールを去った。チャンティガールの街はコルビジェと他の建築家の尽力のお陰で、インドではなくヨーロッパの一部みたいだった。チャンディガールに着いた途端文明化したインドに困惑しながらも安心感を覚えた。コルカタやデリーと完全に違った整えられた景色である。混沌としたクラクションの鳴っていた都会の夜とは違って、ほぼ静かな街だったのでとても快適だった。

 

チャンディガールはGarden cityとして計画された街。真ピンクのブーゲンビリアや黄色い花が道路脇に咲き乱れていて、想像以上に美しい街並みだった。マンゴーの木も植わっていたし。現地の博物館によると、パキスタンからの莫大な難民の受け皿が必要になり、スラム化した街を新しく作り変える計画が持ち上がったらしい。都市が拡大される時は人口が爆発して街や環境がそれを許容できなくなる時。バルセロナもそうだけど、大規模な人々の暮らしを支える社会的環境、物理的環境が必要になる。人々の暮らしや生活、治安は悪化してしまう。人々がコミュニティを自ら形成する力や自立自存の力を持たないとき、政府の力が必要となる。強制的にとも言えるが、共存の形ではなく、人々は政府や権力に依存しなければならない。どちらの街も自治を保つために政府が作ったものだ。バルセロナはcivic prideがあるけど、チャンディガールはどうだろうか。他のインドの街よりもその概念が存在しうる可能性がある気がする。どちらの街も相対的な対象があるためそれぞれの自治を保っているように思える。バルセロナはスペインからの独立を熱望しているし、チャンディガールはパキスタンと接している場所だ。デザインの結果は凶か吉か分からないけれど、対立する物象がないと自分のことを自覚できないのと同じで街の平和を保つにも相反するものが必要のようだ。デザインされているという事実はどれだけ人間に安心感や喜びを与えられるのだろうか。

 

それにしてもインドじゃなさすぎた。安心してぼられちゃったし。インド人のこすさや嫌なところは教育のなさからくるのだとしたらどんな理由にせよ、国際人としてその結果を招いているのが自分だという自覚が大切だと思う。そうしないと一生インド人はこすいままだ。マザーテレサは自伝的本をあまり書き残してないようだけれど、それって自分が思ったことを書き留めて終わりではなくて、行動で自分がどういう人間か表現したかったらじゃなかろうか。(私が推測するのはおこがましいけれども)言葉でだったら人間いくらでも言いたいことは言えるけれど、体現することはなかなかできない。行動に起こすことがもっとも説得力が生まれる。しかし、そんな人間になることはとても難しい。

27th March 

タンマイのプロダクトデザイン学科へ。

(英語で書かれていたけど美しくないので日本語で書きます。)

想像していた学科とは違っていて驚く。彼の専攻は陶磁器それがプロダクトデザイン学科だった。彼の学科はシャンティニケタンではなくスリニケタンにあり、より伝統的な現地産業と村人のための職を残すための教育が施されている場所であった。そこで、現地の村人が実際にお土産にある美しいタペストリーや布や染織を行なっているのを見学させていただいた。デザインや完成度はもちろん日本の方が比べ物にならないくらい高いけど、やっぱそこで比較してはいけなくて、純粋な人間のモノ作りの欲求って美しいものなんだなと実感。彼らの物を生み出しているプロセスがとても美しかった。アートってただアーティストが生み出した結果じゃなくてプロセスも含まれているよね。

 

その後タゴールミュージアムを再訪問。建物の裏にhugeといって良いほどの庭が広がっていて、それには本当に驚いた。手入れはされていなかったけれども、当時使われていたであろう庭の美しい景色を想像するのは難くなかった。ちゃんと手入れがされていたら本当に村の観光資源になりそう。建物もどれもとても心地よさげでよろしかった。一つタゴールの大工さんが建てた工具家と読んでも良い家があって、多分そこでカサハラさんとか色んな職人の方が作業していたんだろうけれども、家の機能がそのまま工具箱(柱が延長して収納になっていたり)になっていてかなり興奮した。展示物には日本から齎されたであろう物がちらほらあった。タゴールの興味関心は多岐に渡っていたということがよく分かった。どの建物も全て補修中だったりして全部完璧に見ることができなかったのは残念だけれども、最終的にシャンティニケタンに長期滞在した選択が間違ってなかったことにホッと一息をつけた。

26th, March 雑記

タンマイがピアスなんでしてないのインディアンぽくて良かったのに〜と褒めてくれた。今日のMVPはタンマイ。ありがとうタンマイ。でも痛くてできないよタンマイ。

 

はなちゃんと狭く汚らしいホステルの部屋で横たわりながらたくさんお話した。

奈良でのWSの話を聞いて、障害者が一緒にご飯を食べている風景がある世界が未来だといい、という話を聞いて彼女の性格の良さをものすごく感じた。純粋で素敵な子だと思った。そんな子と友達になれて幸せだと思ったし一緒にインドに来られて良かったと思う。なぜこの大学に入ったのかという議題が突然持ち上がって、そんな理由インドの衝撃ですっかり忘れていたのでその瞬間は突然過去に立ち返った。昔を思い出して悲しくなった。自分があの頃辛かったのか、と認識できた時の心ってとても苦しいんだね。

自覚もなく一生懸命毎日生きていたけど、辛いとか感じていたのかもはや思い出せないし、自分があの頃辛いという感覚を分かっていたのかも分からない。でもあの時の経験がなければ今の原動力になっていなかったなと再認識できた。私の祖母の話題になり、もう会えないのか、と思ってセンチメンタルになり泣きかける。

 

Iphoneがないからか、気心の知れた友人と一緒にいて素が出ているのか分からないが日本にいる時よりも自分の感情が豊かなことに気づく。

Visbaの学生達に将来的に会えないことに物凄く寂しさを感じる。彼らは自由で、好きなことを純粋にやっていて人間的に完成していて爽やかで、とても素敵な人たちだった(少し盛っているか)彼らがインドの未来を作っていって欲しいと思うし、自分もあれだけ魅力的な人間になりたいと心から思った。彼らからもらった優しさや思いやりや親しみをこれからどうやって返していったらいいんだろう。あったかい人たちに出会えて本当に良かったしとても感謝している。インドもシャンティニケタンも関わってくれた沢山の人もありがとう。

25th, March, 2017 in India 人間らしさについて

今日はTagore museumとSaturday Marcket, Kasahara と文房具屋へ行った。

 

 

タゴールの美術館の入館料は当時300Rs(日本円で600円かな?)。

現地人とビジターの入館料の差額が大きすぎて不服。なぜ外人はお金を取られなきゃいけないんだ!ナショナリズムを提唱していたタゴールの思想には反するよ!(笑)

まあ、結局中はそんなに見なかったんだよね。

2時前にウジャルがどこからともなく爽やかに現れてとても幸せな気持ちになった。

それだけで今日1日分の喜び。イケメンありがたい。

大きな木の下の木陰で、ミュージアムのお昼休憩が終わるのを待ちながら(ほぼ警備員から隠れながら)、ハナちゃんに心の中を吐露。嫌いなことをあえてやらない選択をする強さ。勇気。信念について(アドラーか)。それらがあることは良いことなのでは。他に、頑張ること、受けること、混ざることの3つ。私たちにはやりたいことがないという話。嫌いなことがあるということは人間に興味があるということだから良いこと?(なんでも二元的に捉えることではないけれど)

いっぱい喋って心が楽になる。

 

夕食はKASAHARAでChowmen(Veg)を食べた。

Kasaharaはインドのシャンティニケタン、ビスババラティ大学内にあるカフェ。

半屋外で屋根だけついている。綺麗な空間。カフェの名前の由来はタゴールが日本人の庭師のカサハラさんに自宅のお庭の設計を依頼したところから来ていた気がする。

人間性とは何か、という質問をオーガナイザーに聞いてみた。Humanityとは何か。人間らしさとは何なのか。彼らの話を聞いていると、感覚的に理解はしているが、なかなかコレといった共通言語が見つからないという気がした。村人のHumanityと私たちが考えるHumanityも違うかもしれない。一人一人違う感覚でHumanityを捉えていることがわかった。オーガナイザーのSさん曰く、日本語で人間性という言葉は既に使い古されてしまっているのではないか、Humanityを唱え出したのが経済成長が進んできてから警鐘を鳴らし始めたくらいだから、と。そういう言葉は逆行している出来事がないと生まれないのかもしれない。分かりやすくいうと戦争と平和みたいに。

Gさん曰く、人間性は人懐っこさだと思う、色んな側面からはっつけていったら人間が言う人間らしさが分かるのかもしれないと。

なかなか平行線な会話だった。その他、マタギの話や里山は庭か問題等。

 

で、ホステルに帰ってから色々と考えたのは言葉に踊らされているだけではないのかということ。言語で会話しようとするからゴッチャになってグルグルしてしまう。実際の人間性-Humanity-はとてもシンプルに目の前に現れているのではないのかということ。

 

<追記>3/26

メモにまとめて分かったのは、人間を人間性という1つの言葉でまとめることは不可能なのではないかということ。1人1人多様なコミュニティの中で生き、感じていることも全く同じとは言い切れない。コミュニケーションを通じて理解や共感はできても、100%同じ考えや思想をなぞることはできない。みんな全く違った個体が"人間らしさ"という一言で片付けられてしまう。多くの人や物や言葉に囲まれているから私たちはついなんでもまとめたがってしまうけど、1人1人の性格や生活に寄り添うことが求められる社会にならないだろうか。違って当たり前。それがベースになってたのがデンマーク。日本はそういう心やプライドは無くなってしまったのかなあ。Humanity

って実はそんなに簡単に使っちゃいけないコトバになっているんじゃないかなあ。英語と日本語はまた解釈が違うだろうけど。でもやはり人間性という言葉で全部括れない気がする。